はじめに

とうとう後期高齢者の仲間入りをさせていただきました。
戦後まもなく生を受け物心が付いた頃には周囲の殆どの家庭も裕福ではなかった
と思いますが貧困家庭は少なかった様に思います。
ベビーブームで子供も沢山いました。

中には身体的に知能的に不自由な人もある程度いましたが皆それなりに助け合い
差別はなかったとは思いませんが仲良く遊んでいた記憶があります。

小学校3年生になった頃でしょうか?今まで有った道徳の授業がなくなりました。
地域のお祭りは健在でした。経済も急成長して行き、オリンピック、新幹線
白黒テレビに電気洗濯機などが出現し、バイク、自動車も増えていきました。

右肩上がりの経済に人口増加。中学氏の頃には周囲の田畑を、山林を開発して
分譲住宅が増えると共に核家族化が浸透して行き、多人数家族は減少の一途を
たどる様になりました。

今振り返るとその頃から人々の考え方や言動が自分中心に自己を主張するように
なってきたと思います。けっしてそれは悪い事とは思いません。
しかし、物事は表裏一体。権利の背中には同等な義務が有ります。

では私はそれらの事象をどの様に感じ、どの様な言動をして今に至ったか?
只高度成長経済の波に流されて生きて来た結果が今の自分だと気づきました。

ようやく気がつくと少子高齢化、貧富の格差、環境汚染、勃発する紛争
今なお求める右肩上がりの経済、ピラミッド型の組織、グローバル化、
野生動物からの被害、生態系の変化、生活困窮者の増加など

これらの殆どは私たちの世代が作り上げて来た産物です。
結果それに苦しめられているのは私たち世代で有り、もっと苦しめられて
いるのは私たちの子供、孫世代だと感じています。

自分の責任は自分で取る。当たり前の事ですが、事がここまで大きくなると
自分一人では取り切れないのが現実です。
では自分が出来る事。自分でないと出来ない事。そして生きること。

考えた結果がせめてのブログ発信です。
ところが「どっこい」始めると、これがなかなかの強者でした。
ネットで調べれば調べる程 試行錯誤に陥るのが現実でした。

そこで最終手段を決行。私の長所でも有り最大の欠点。
何でもいいから実行有るのみ。試せば結果は出る。
結果はこの通りです。